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〜聖なる命の誕生〜


この世に生を受けた、小さな命。それは赤子の他にないでしょう。
新しい生命の誕生は、人生の誕生であり、全ての始まりなのです。これは現代だけでなく、今まで人類、そして全生命が生きてきた、全ての時代に共通するものです。「生きし時、全ては始まる」(マテリア古代神官集より)は、正にこのことなのです。
中世西欧の時代は、非常に子供が少ない時期がありました。黒死病(ペスト)の時期、そして十字軍が活発に活動していた頃が最もひどいものとされています。
これらの時代の前後は子だくさんの時期がありました。「生めよ 増やせよ」の法則に従っていくように、人々はどんどん子供を設けました。
しかし、どんなに子供を設けても、当時の食糧事情や気候条件を考えると無事に成人になった子供は少ないのが現状です。2割以上の子供(高位階級は除く)は成人の儀を迎えずに亡くなってしまったようです。

子供が誕生すると、産湯につかせた後、両手をまっすぐ(気をつけの状態)にして白い布でぐるぐる巻きにします。姿勢がよくなると言われていたようですが、現代の産婦人科の医師に聞くと「それは絶対にダメ」と言われることでしょう。(しかし当時の医師が良いと言っていたのですから、母親達は正しいと思わざるを得ないのですが)
静かにしている時は現代と同じく揺りかごに寝かせます。裕福な人は少々豪華なものになりますが、市民の場合は木をくりぬいたものでした。中にはしっかりと布が敷き詰められており、少しでも安心して寝られるように工夫したものです。
母乳もほぼ全ての母親が直接与えていました。乳母に託すこともありますが、たいていは他人の乳を飲ませるのを嫌がったので主に幼児期の教育を託していました。乳母はその子供の健康状態をきちんと把握し、程度な教育を施す義務がありました。もちろん、仕事の1つですからそれなりの給料をもらっています。

 誕生してから必ず受けなければならないのが「洗礼」でした。すぐに受けさせないと、悪魔の誘惑に負けてしまい、神の国に入れなくなるからとのことで、母親達はこぞって教会区の司祭にわが子を託しました。 洗礼の儀に際しては子供の両親、司祭の他に名付け親である「代父母」が立ち会いました。当時は両親が名を決めるのではなく、代父母となった他の人につけてもらうのが一般的でした。代父母の記憶が子供の出生届の代わりになったのです。
現代でもそうですが、出産に関しては経費がかなりかかります。
中世の時代もまったく同じ事が言えており、子供の為に新しい物を購入する必要が多々ありました。多少の出費に加算して各種税金も支払わなければなりません。但し、一定の条件を満たした者については免除制度がありました。
実に多くの人々に囲まれて、小さな命はこれから起こる、波乱万丈な自分の人生を進んでいくのです。


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