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〜中世人の入浴習慣〜


東洋、特に日本はかなりの綺麗好きという認識を持っています。お風呂はもちろん、きれいに手を洗う習慣や一度使った物はすぐに取り替えるといった感じです。中世ヨーロッパの人が見たら度肝を抜くかもしれません。何故こんなに綺麗にしているのだろうか、と。
それもそのはず、当時の人々は「入浴」という習慣がほとんどといっていいほどなかったからなのです。

古代から入浴(湯浴み)の存在はありました。古代エジプトや古代ローマでは高位貴族がしょっちゅう入浴をしています。中世の場合も貴族を中心に入浴の楽しみを知っていますが、その時間帯は専ら夜明けに集中していました。
人々の時間のサイクルは、起床してから身繕いを整えて夜明けの教会のミサに行くのですが、その後などに入っていたようです。または公式な馬上槍試合や重労働など汗を多くかく時にも入浴していました。(地域によっては大多数の人が朝風呂に入らない事もあります)この習慣は今日のヨーロッパでも多くの国が継承しています。朝ゆっくりと入って、夜は軽く蒸しタオルなどで拭くのが普通とされています。

貴族や富豪、そして修道院に収容されている重度の病人などは自分用の木桶をもっており、その中に熱い湯を入れてました。サウナ形式の風呂もあったと伝えられています。
一般の市民は街にいくつかある「公衆浴場」に足を運んでいました。今でいう銭湯みたいなものですね。夜明け前から営業していますが、実際に人々がやってくるのは夜が明けてからです。お風呂の湯加減がよくなると呼び込み人が大きな声で知らせるのですが、夜明け前は盗賊がうじゃうじゃいたので黙っていた方が安全だったからです。都市によっては夜明け前の呼び込みを禁止している所も出ました。

夜が明けると続々と市民がやってきますが、日本の銭湯のように男女の更衣室はありませんでした。当然男女別の浴場なんてありません。元祖「混浴」だったのです。最初の頃はただ入浴するだけだったのですが、時代が進むに連れて風俗面における影響がではじめた為、混浴を禁止し、時間別に男女別々に入浴させる方法をとりました。

huro.gif市民の入浴方法は、日本のように湯を張って入浴するのではなく、噴水のような形をしたお湯受けからシャワーのような感じで浴びていました。手動シャワーといったところでしょうか。人々は上から落ちてくる湯に身を浸していたのです。
貴族の場合は天幕のついた木桶の中で湯を浴びていました。入浴している脇で饗宴のような食事もしていたのは不思議な感じです。

人々の入浴サイクルはだいたい1週間〜2週間が平均でした。ひどい時は1ヶ月風呂に入っていない人もいたほどです。よほど綺麗好きな人でも3日に1回の割合です。
しかし、1348年頃大流行した黒死病(ペスト)を境に公衆浴場の数は激減してしまいました。共同で入ると感染してしまう恐れがあったからです。
この時代を境に風呂の習慣は一時途切れてしまいます。香水が発達したのもこの頃からですから、自分の体臭消しに利用したのは言うまでもありません。現代ほどではありませんが、自らの身を綺麗にする習慣はちゃんと残っていたようです。

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