lib_tit.gif

〜中世の貨幣の種類・制度について〜


古代ローマの古貨幣などはよく教科書などでも登場しますが、意外と中世ヨーロッ パのお金に関してはよく知られていません。あることにはある、でもどんなのか?  と想像するとちょっと悩んでしまいますね。

初期の頃は、現在の貨幣制度と違っていて半物々交換制でした。お金としての役 割はあまりなく、どちらかというと価値判断の材料として用いられていたようです。
たとえば、ある村の馬(100円とします)を欲しいと考えます。現代の考えで すと、その馬の値段は100円ですので100円玉を渡して購入しますが、この 場合は「100円分の価値がある馬」ということで、それと同等の別物(豚や羊など)を持ってきて交換するわけです。 要は、馬や羊などの物品が貨幣になっていたというわけです。

その後、都市構造が進んでくると、貨幣は現在と同じような役割をもつようにな ってきました。12世紀後半あたりからは大きな都市では完全貨幣制度へと移っていき、市場で売り出される物品すべて貨幣交換で補われていったのです。この背 景には、十字軍遠征などでもたらされる他国商人の流出・貿易、また急激に発達 した錬金術などが控えていました。
イギリス・ロンドンにあった法律にも貨幣について記されており、貨幣を偽造し た者については厳しく処罰するなど、国王のもとにおいて流通量を増加させていったようです。

国によって貨幣の種類は異なりますが、基本となるのは銀貨でした。金貨も使われていましたがずっと後に作られました。
ドイツを例にとると、基本単位は 「ペニヒ」という小さな銀貨で、ペニヒの枚数によって別の貨幣単位がありました。またフランスの基本単位は「ドゥニエ」という、これも銀貨でこちらの方が 流通量が高かったようです。
物換算についてのある記録が残っています。それによると、1ドゥニエはりんご や梨(洋梨のことだと思います)がひとつ買える値段で、卵(1コ)は2ドゥニ エ・炭一袋で16スー(1スー=12ドゥニエ=192ドゥニエ)・塩バター1リーブル (1リーブル=20スー=240ドゥニエ)といった具合です。但し、この値段は物価 が高くなっていた時期の記録なので、実際はもうちょっと安めにおさえていたと思います。

ちなみに銀貨などには、十字のマークが刻まれているものが多く、「神の聖霊が宿っている」「魔の力がこめられている」など、迷信的な要素も多く含んでいたため、埋葬時に一緒に埋める習慣もありました。現存している当時の銀貨などはきれいなまま残っているのはそんな理由があるからです。


戻る