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〜中世最大の悪夢/ペストの猛威〜


現在はほとんど知ることのないペスト。これは伝染病の一種で、非常に感染率が高い病気として恐れられていました。当時の人がペスト菌をしるよしもなく、 「これは神の裁きだ」「魔女の仕業だ」「悪魔の呪いだ」などと噂され、人々を恐怖の渦に陥れていました。
WEBにある資料から抜粋すると、

法定伝染病の一。ペスト菌の感染によって起こる。症状が激しく死亡率が高い。 古くはしばしば流行し、特に一四世紀にはヨーロッパ全域に大流行した。黒死病。 (goo/大辞林第二版より)

という解説がでてきます。 何故1400年代に入って急激に広まったのかというと、東方から輸出されてきた食べ物の中に進入していた「ネズミ」がその原因であると考えられます。ネズミの体内にひそんでいるノミの中にペスト菌が入っていて、そのノミが船の中にある 食料品にひっつき、その食料を人々が体内にいれた結果、蔓延したということです。

ペストにかかった人は、まず手や足・顔などがふくれあがり、血液の循環が異常 になります。ひどい人は高熱を発し、はやくて発病から3日程度で死亡するという非常に恐ろしい効果を持っています。 人から人に感染するのですから、それを食い止めるために国や大きな町の代表達はありとあらゆる措置をとりました。感染者を隔離し、国外からもちだされた香辛料や魚を口にしない、感染者が住んでいた住居を焼き尽くす、などなど…。 それでも死者はふえゆくばかりでした。

この異常な出来事はドイツ・フランスを はじめ全ヨーロッパで爆発的に増えていったのです。 ペストに感染して死亡した者は、特定の場所に身分の関係なしに次々と埋葬されていきました。
通常、誰かが亡くなったときは弔いの鐘を鳴らし、遺体につきそって泣く「泣き女」(という職業が実際あったのです)と共に教会に行き埋葬するのですが、ほぼ毎日死者がでていましたので、これらの行為はすべて禁じた街が多くありました。

1500年代、ルネサンスの時代に入ってようやく感染の被害は収まっていきましたが、この後、人々の記憶の中に「黒死病」として強く焼きつけられることになるのです。

なお、この時代ペストの他に瘴癘[しょうれい]という病気も黒死病の中に含ま れることがありました。瘴癘とは、気候や風土の具合によって起こる熱病・皮膚 病の一種で、南(アフリカ大陸付近)からの風がなんらかの形でヨーロッパに吹 きこまれてきたとされます。症状は、感染者の体臭が非常に臭くなり(腐敗して きます)、吐血・嘔吐・血尿等がみられ、短期間で死亡するというものです。ペストにちょっと似ている病気ですね。


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