lib_tit.gif

〜余興はトーナメントと処刑の時間−人々の娯楽〜


タイトルご覧になっただけでぞっとするかもしれませんが(笑)、今回は人々の 余興のお話です。

当時の人々は祭りに参加するのが大好きでした。1月の十二節前夜祭(トゥエフ ルズ・ナイト)から12月のクリスマス、さらには各地で開催される豊穣祭(ハー ベスト)など、ほぼ全員が参加して日ごろの疲れやうっぷんを晴らしていたもの とされます。
祝典がないときは、クリケット(野球の元となったスポーツ。現在でもイギリス では伝統ある競技として盛んに行われています)やマスゲームなどで余興を楽しんでいましたが、なんといってもこの2つの行事があればとんで駆けつけるでしょ う。

1つは、11世紀以降に最盛期を迎えた馬上槍試合(トーナメント)。これは特に 王族や貴族などの上流階級の人々に圧倒的な支持を受けたものでした。奥方達は、華麗な衣装に身を包み、設けられた観覧席でその壮絶たる戦いを楽しんでいたよ うです。
このトーナメント、最初は相手を落馬させるのが勝敗のカギでしたが次第に過激 になっていき、終いには相手の息の根を止めるまで戦い続けたといいます。 また、馬を使った競技なので、大勢の騎士がいっぺんに入るともみくちゃ状態。 誰が誰だか分からなくなることがよくあるので、騎士の兜(ヘルム)には、自分が誰であるかを一目でわかるように自分の紋章・または象徴の動物をかたどった 飾りをつけていました。

もうひとつの娯楽は、処刑の時。以前このメルマガでもご紹介したことがありま すが、処刑は街の大広場で、公開という形で行われていました。 処刑の時が近づくと街の鐘が一斉に鳴り出し、人々に知らせます。仕事を止め、 遊びを止め、人々は大広場に集まり罪人の最期を見守るのです。
だいたいの人は絞首刑(首に縄をかけて梯子を外す)でしたが、身分の高い人は 斬首刑(専用の剣で首をはねる)になることが多かったようです。他には火刑 (魔女によく適用されていました)、引回し刑(手足をひっぱって体を引き裂く) などが記録に残っています。
処刑後、人々は何をしたのかというと、こぞって「宴会」を行います。罪人がき ちんと処罰されたという証として行うのです。ちょっとヘンな話かもしれません が、これはきちんとギルド(商業組合)の機能が成り立っていることを証明するものです。現代の私達から考えると、ちよっと複雑な気持ちですね。


戻る