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〜1日の時の流れ・時間配分〜


日の呼び方

「日」については、教会カレンダー(祝日)を基に動いていたとされています。
当時は1年のほとんどの日に殉教した聖人の名を語っており、月と日はその聖人の日に変えて言っていました。

例えば、11月25日は聖女カタリナ(十四救難聖人の1人)の日ですが、人々は「11月25日」とは言わずに「聖女カタリナの日」と呼んでいたのです。この日の前日等になると「カタリナの日の1日前」(11月24日)「カタリナの日の2日後」(11月27日)という風になります。

日の呼び方
現代中世西欧前後の日
1/1聖母マリアの祭日聖母マリアの4日前(幼子殉教者の日=12/28)
5/12聖パンクラティウスの日パンクラティスの次の日(聖フェレオルスの日=5/13)
9/11聖女テオドラの日テオドラの前の日(聖ニコラウスの日=9/10)
12/25降誕祭−−−−−−−

※呼び名がない日
2/21・5/29・6/23・12/19





時間配分

古代エジプト時代、古代ローマ時代から「時計」は存在していました。水時計・日時計など様々な時計がありましたが、中世の世界では修道院、又は鐘楼にある「鐘」が時計を役割を全て果たしていました。全ての都市は鐘の音で始まり、鐘の音で一日を終わらせていたのです。
鐘が鳴る時間は修道院の「聖務日課」に基づいています。聖務日課とは、修道院の時間割りといったところで、この時間にこのお祈りをしなさい、といった内容になっています(別名「八定時課」と呼んでいます)。修道院だけでなく、都市の人間もその時間に習っていました。

(※時間は必ずしも60分という訳ではなく、夏至の期間は1時間75分、当時の期間は45分となっていました。そう影響で季節によって若干時間配分が変わる事もあります)
現代時間 中世時間 修道院活動 市民活動 大学活動
午前2時 朝課 起床・祈祷 −−−−− −−−−−
午前3時 讃課 祈祷 起床・短い祈祷 起床
午前6時 一時課 祈祷 ミサ出席・朝食・朝市開始 授業開始
午前9時 三時課 農耕時間 職場通り活動開始 授業
正午 六時課 農耕時間 昼食 昼食
午後3時 九時課 軽い昼食 余暇時間(ゲームなど) 授業
午後6時 終課 祈祷 仕事終了・帰途・夕食 授業開始
午後9時 晩課 夜の祈祷(軽い夕食) 就寝 授業終了・就寝

:「朝課」:
今でいう午前2時頃です。修道院の者はこの時間までに起床し、朝の感謝を神に祈ります。朝課からすぐに「讃課」(午前3時頃)の鐘の音がなります。この頃には都市の市民達もゆっくりと起きだし、神への祈りを捧げます。

:「一時課」:
この時間を境に街では定例の朝市が開始し、職人は仕事を始めます。市は時間によって出店する物が限られていました。例えば、この時間は野菜、次の時間は肉、その次の時間は魚・・・といった具合です。

:「三時課」:
やっと学生達が大学に行く時間になります。当時の大学は一時課に始まっていたのが普通なので遅い方と言えば遅い方ですが。
人々は正ミサに足を運ぶ事になります。

:「六時課」:
人々は一斉に昼食をとる時間帯です。これは中世でも現在でも変わりません。人間のお腹の時計はずっと守られてるようですね。

:「九時課」:
(午後3時頃)は修道院の僧侶が昼食を取る時間帯です。といっても、実際は六時課に取っていた事が多々あったそうです。朝早くから祈り続けていますからお腹は空くことでしょう。

:「晩課」:
全ての職場から人が消え、ひっそりと静まり返ります。当時の夜間勤務は厳禁としていたので(賊に襲われやすい)皆早々に家へ帰り、夕食を取っていました。

:「終課」:
就寝の途に着きます。起きているのは数名の修道士と夜警、そして都市の門番ぐらいです。
人々はこのような時間サイクルで中世の世界を生きていたのです。


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